失語症記念館
素敵な人々

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旅行はリハビリ

鹿野 慶司空白
山形市在住空白
2001.4.12 :失語症記念館館長 後藤卓也
空白

2001年 8月:

後藤:
(G)
旅行の話をメールでしましょう!
鹿野:
(K)
旅行には病気する前には行きませんでした。四、五年前に、山形の障害者の会がロンドン、パリに連れて行ってくれました。
昨年はニュージランドに行って来ました。
旅行はリハビリの一つと考えているので。
G: 障害者になってから、ヨーロッパとニュージーランドに行ったのですか!!
私も障害者になってから18年になりますが、10年前から東南アジア、ヨーロッパ、ハワイに行きました。
ニュージーランドには行ってないのですが・・・。
旅行はリハビリと云われていますが、確かに、異文化に触れるとカルチャー・ショックを受けますネ。
リハビリと云う意味は、体のリハビリ以上に心のリハビリが進むことが感じられますネ。
ヨーロッパにはいつ頃行かれたのですか・・・。
K: ヨーロッパに行きましたのは平成8年の3月でした。
ロンドンは霧が多く、寒いところと聞いていました。
3月に行ったものですから、寒いことは寒いですが、気になりませんでした。
ロンドンに着いて太陽がまだ余裕があり、夕食を食べました。それでも、眠気が夕食よりも勝っていました。
翌日、妻が朝の散歩がてら有名な橋を見てきたと話をしてくれました。
G: 有名な橋と云うのは・・・。
K: えーと、ロンドン橋です。
妻が見に行きまして、渡ってきたと話をしました。ホテルから近いところにあったそうです。
小生はホテルで外を眺めていました。通勤される方々が通っている道でした。
G: それから・・・。
K: 古城を見学し、陛下が結婚式の時に召されたドレス等が飾られていました。古城の名も忘れました。女王様の結婚式に召されたドレス等飾ってありました。衛兵が建物の入り口に立っていました。
宮殿も見学しました。議事堂も、首相官邸も見学、衛兵が冬の寒い中、直立不動の姿勢で立っているのを見ました。
G: ロンドンを発ってパリには飛行機で行ったのですか・・・。

K: ロンドンからパリまで列車で行きました。
G: あー、列車ですか。
ヨーロッパの列車は良いものですよネ。
私はオリエント急行にヴェネツィアからパリまで乗りましたが、パリとロンドンは乗っていないんですヨ・・・。
如何でしたか?
K: ロンドン発パリ行きのユーロスターに乗りました。11時47分発でした。
パリに行く列車に乗るのに車椅子に乗っている人達だけがエレベータ−で上がることができました。
G: そう云うところがヨーロッパで、特にイギリスはそうですネ。
K: 日本の新幹線よりもスピードが出るといわれていたユーロスターです。
3時間ほどかかりました。
トンネルに入るところを写真に撮ろうと思ったのですが、解からないまま、トンネルに入っていました。
海底トンネルは約20分、あっと思うまま仏領に入っていました。
パリは、北駅に着きました。
G: 列車の中で車椅子はどうしたんですか?
K: 車椅子は添乗者にお願いしました。

G: パリに着いたのですネ。
K: ええ。パリの宿泊地はコンコルド・ラ・ファイエット ホテルというところです。
G: 翌日は観光ですネ。
K: ええ。九時にホテルを出ました。
シャンゼリゼ通り右折して、女性天国、男性地獄といわれる通り(ルイ・ビトン、シャネル、セリーヌ、クリスチャン・ディオールの店が並ぶ通り)にでました。
目の前にエッフェル塔が現れました。塔をバックにして、写真を撮りました。車椅子に乗っているのは小生のみでした。
コンコルド広場に行きました。丘になっている場所に上がり、広場を眺めました。
3300年前にエジプトから持って来た石の塔、墓石がありました。
G: 凱旋門まで一直線ですからネ・・・。
K: 間もなく凱旋門が見えるところにでました。
両側にエレベーターが備えられ、無名戦士の墓があるということでした。停車できませんので、ゆっくり見て廻りました。
G: 降りて見れなかったのは残念でしたネ。私は自由行動のとき苦労して見てきました。
K: ノートルダム寺院に向いました。寺院の前で説明があり、ユダだけがそっぽをむいていました。明日の礼拝に備えてイスが7000個ほど並べてあり、高い天井、両側のステンドグラスが美しいものでした。
昼食後、ルーブル美術館を見ました。
1932年に世界一の美術館として開設され、20万点のコレクションの中には世界的に有名な品が多いということでした。とくにダ・ビンチのモナリザ、ミロのビ−ナスは見逃せないといわれました。
車イスの4名は別行動、残念ながら見せていただけなかった。
G: 私も階段に弱いということで、博物館や美術館では車椅子に乗せられて別ルートを回らされ見たいものが見れないことがありました。
K: 夕食はライトアップされたエッフェル塔を見ながらセーヌ川のディナークルーズでした。川面から眺めるパリの建物は独特な感じがするものでした。パリの若い男女がクルーズを眺めていました。
G: 話をお聞きすると、また行きたいですネ。
帰ってから旅行記を書いたのでしょう! これが、重要なものだと思うのです。
文を書いても自主出版は大変ですが、IT革命は我々に味方しているようにホームページがあります。大いに利用しましょう。
どうも、楽しいメールをありがとうございました。また、お話を聞かせて下さい。


鹿野慶司さんは、昭和57年に脳内出血で倒れて、現在は車椅子を使用しておられます。

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