失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:3

ちょっとした気持ち

言語聴覚士 吉田 真由美
国立水戸病院

2002年08月

 昨日、失語症友の会の会員から今年度分の会費が現金書留で届いた。私がバックアップしている会は会員が約60名。大部分が私の言語治療を受けられた方々である。
 復職された方から、介護の必要な車椅子移動の方までその後遺症にも差があるが、年齢も20代から70代までとバラエティに富んでいる。
 会費を送ってこられたのは、60代半ばの手足の麻痺はないが全失語症という入力、出力共に重度に障害を受けた男性である。もちろん字を書くことも出来ないので、奥様が代筆である。
 封を切るとお金と一緒に小さめの封筒と手紙が出てきた。

 先生、お元気でお過ごしのことと思います。ご無沙汰して申し訳ありません。遅くなりましたが会費を送りますのでよろしくお願いいたします。主人はとても元気にしています。泣くこともなくなりました。先日、義姉が遊びに来たときに、言語で使っていたノートと写真などを持ってきて熱心に見せておりました。義姉が帰ってから、私の前でまたノートを広げます。彼のノートには先生が書いてくださった先生の似顔絵があります。他のページにビールの銘柄の写真が貼ってあるのですが、(これも先生が彼がビール好きと聞いて貼ってくれたものです。)そのビールの中からアサヒスーパードライを選んで、先生の似顔絵と交互に指すことを繰り返しました。そういえば彼が好みの銘柄にキリンを指さしたとき先生が、「私はアサヒスーパードライ!」と話してくれたのを今でも覚えているのですね。
 主人が先生にビールを送ってくれというのです。ですから同封してあるビール券は主人からです。
 あの頃、口では何も話せなかったのに、この頃「美味しい」とか「甘いなぁ」なんてびっくりするような言葉が出てくるようになりました。長続きはしませんが、涙が出るくらい嬉しいです。先生のおっしゃったとおり、やっぱり良くなってくるものなのですね。
 先生もお忙しいことと思いますが体に気をつけてご活躍下さい。


 この方は、62歳で倒れて1年半の言語訓練をされました。言語治療を終了してからすでに3年以上が過ぎました。今でも検査をすれば、重度失語症の判定しかでないでしょう。失語症の重さと、日常生活上のコミュニケーションの実用性は必ずしも一致しません。
 こちらからの発信を受ける窓口がとても狭く、また彼らからの発信の手段が非常に限られている重度失語症であっても周りの協力があれば結構コミュニケーションは成り立つものです。
 3年以上たってもまだ言語訓練のノートを大切に持っていてくれる人がいるのだと思うとやっぱり嬉しい。それに私の好きな銘柄を覚えていてくれたんだ。すごーい。しかし待てよ、あの時描いた似顔絵は少し若すぎたんじゃないかな?・・・何年も大切に持っているとしたらおちゃらけた文章や絵を残すのはまずいなぁ。・・・そういえば、先日のグループワークで、「先生、イタリアはどうでした?」と聞かれて、「おちんちんの嵐で困った!」という話をするのに重度の患者さんが理解できないので、ノートにダビデ像のあの部分とか天使のあの部分とか図解入りで描いて「もうたくさん!」と言って重度の方から軽度の方まで大爆笑で終わったんだっけ。・・・まずーい。誰のノートに描いたんだっけ?見つけて消しておかなければ。

 早速お礼状を書きました。葉書に私の似顔絵(アンド色つき)を描き、大きめの文字で、文章は簡潔。電文体のような感じ。重度の方にはこれが一番わかりやすいようです。

 Sさーん、吉田ですよう。ビールご馳走様。とっても嬉しい。大感激!また会いましょう!お元気で。

 臨床をしていて本当に嬉しいと思えるひとこまを書いてみました。

失語症と風景
失語症の風景


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最終更新日: 2002/08/21