失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:10

パフォーマンスで行こう

言語聴覚士 吉田 真由美
国立水戸病院

2004年01月

ある午後のこと、受話器を取ると
「先生、Nの家内です。」
「あら、こんにちは。どうしました?」
「今日はお礼を言おうと思いまして?」
「えっ?」
「主人が連休の前に、花を買ってきたんですよ。それが赤い薔薇の花なのです。私の誕生日にということだったのでしょうけど・・・。先生が言ってくれたんでしょ?花を買ってあげなさいって。」
「えっ?私は知らない。・・・もしかしたら、連休前、EくんやSさん達と何かごちゃごちゃやっていたから、彼らが一緒に花を買いに行ってくれたのかもしれない。みんなで近況報告や自己紹介なんかするときに結婚記念日や誕生日なんかも質問されたりするし。奥さんの誕生日って聞いて、今時はお花の一つもプレゼントするべきだって、みんなにけしかけられたのかも。」
「・・・本当に先生じゃないんですか?・・・私・・・結婚して25年以上たつんですけど、あの人からお花なんかもらったの初めてなんです。左手で書いたから、仕方ないんですけど、下手な字で『今までありがとう、これからもよろしく』なんて書いたカードも添えてくれたんですよ。」
「ああ、思い出した。そうそう連休前の時に奥さんの誕生日だって言うのでカードを書こうって事は私が言ったのでした。文に書いてあった内容はNさんがみんなの前で言ってたことだから本心だと思うけど。お花は、たぶんみんなに言われたか、本人が考えたのか・・・つまり、本当はとっても奥さんに感謝しているって事じゃないの?」
「そうですか。・・・おかしいですね。たった3本の薔薇でもお花もらうと嬉しいものですね。」
「おかしくなんかないですよ。女性は誰だって嬉しいのよ。でもNさん達くらいの年の人は、他の患者さん達見ていても『ありがとう』とか、花をあげるなんて、『こっぱずかしくてやってられない』なんていうからね。」
「ふふふ、どんな顔して花を買ったのかと思うとおかしくておかしくて。」
そう言って、いつもより少し明るいトーンのまま、彼女は電話を切ったのでした。
 Nさんは、病気の前はバリバリの遊び人で、仕事以外の時間はお酒と麻雀でほとんど子育てにも参加せず、本当にどうしようもない夫だったのです。倒れる前、誰もが、家族関係が円滑だとは限りません。長い時間を要するリハビリを支えていくもの。それはある程度の経済力と、介護者と介護される側の沢山の素敵な思い出なのです。でも、その思い出がきちんと培われてない人たちもそれはそれはたくさん居ます。
 夫婦、親子、嫁姑・・・。病前からある一定の醒めた関係が出来ていれば、病気になってもなかなかその姿勢を崩すのは難しいのです。
 いつだったか痴呆症の介護をしている人たちの「辛いと思うこと」のアンケート結果を見たときに、「ありがとうと言ってもらえないむなしさ」というのが上位3位に入っていて驚かされました。痴呆症だから仕方ないと、教科書的には十分理解できているはずなのに、介護者の心が「悲しい」と叫んでいるのだと思います。頭でわかってはいても感情が許せない・・・、理性と感情の狭間で上がる悲鳴のようで、胸が痛みます。
 失語症や高次脳機能障害も同じです。病前から人間関係が円滑でなかった場合、素直に「ありがとう」が言えない人がたくさんいます。そういう場合、介護する側も醒めた目でしか見られませんし接することが出来ません。
 こういった場合の、片栗粉役、つまりとろみ付けをする役が私達リハビリ臨床家の仕事の一つでもあるような気がします。
 Nさんは、ずっと奥さんに感謝はしていましたが、言葉もなかなか思うようには言えないし、照れくさくて、カードなんか書けないし、花なんか買えないと訴えました。
 でも言わなければ、行動しなければその気持ちは疲れ切った奥さんの心には届かないのです。これからもずっと一緒にその人生を歩いていくのに・・・。
 一緒にE君とSさんがお花を買いに行ってくれました。奥さんは嬉しそうに「お花もらったのは初めてなんです」と言ってくれたのです。
 えっ、どうしてNさんがカードを書き、お花を買ったかって?
『私の言うことを聞かなければ、言語訓練中止!この言語室への立入禁止にするからね!本気だからね!』と脅かしたのです。この言葉とっても効くんです。
 お花をもらった奥さんはいつもよりちょっぴりNさんに優しくなり、優しい奥さんに触れたNさんはいつもより顔がほころんで・・・相乗効果です。
 うちの言語室はたまにこういった演出もします。(・v・)

失語症と風景
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最終更新日: 2004/01/10