失語症記念館 失語症と共に
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日本版
「シャーリーが語る:失語症とともに生きる」への序
シャーリーのお話にまつわる社会的・文化的背景について−
シャーリーのボランティア活動とアメリカの習慣についてのご紹介

米国コロラド大学
言語学部教授

リサメン

2001年11月: 1/1頁

アメリカの生活と日本の生活には沢山の相違があり、日本の読者にとってこのお話の理解を難しくしているところが数多くあるかもしれません。綿森教授の要請に答え背景情報を少し以下に記します。
 シャーリーに脳卒中が起こった時、彼女とその夫エイブはニューヨーク地域で長年経営していたギフトショップを止めて丁度引退したところでした。シャーリーは2年制の短大で会計学を修め、そのお店の会計を担当していました。次女のサンディーは約300キロ離れたボストンに住んでおり、神経心理学者として小児の心理発達の研究をしていました。長女のエレンとその家族はニューヨークから3、000キロも離れたコロラド州のボールダーに住んでいました。彼女は幼児の発達の専門家で、シャーリーが脳卒中を起こした時(も現在も)、乳幼児から幼稚園児までを対象にした保育園を経営していました。
  脳卒中の前は、シャーリーは読書やおしゃべり、ことばのパズルをするのが好きでした。話す能力を失ったことは彼女を悲嘆に暮れさせるような出来事でしたので、集中的なリハビリテーションプログラムをすぐに始めさせることがとても重要でした。リハビリテーション・プログラムはシャーリーが積極的で希望的な態度を持ち続ける助けになるとともに家族や友人達と再びコミュニケーションできるようになる程度まで彼女の言葉の回復を助けました。
 脳卒中の後、リハビリテーションを1年くらい受けてから、シャーリーとエイブはボールダーへの引っ越しをしました。ボールダーの生活はニューヨークよりも少しだけゆっくりしていましたし、孫達にもより近くなったと言えます。ボールダーは社会サービスの面でとてもよいネットワークを持っています。例えば障害をもつ人達が病院に行きたいとき、あるいは地域の施設を使いたい時には、ドアからドアへの移送サービスがあります。またその中では高齢者を援助すること、また、他の人達の役に立てるよう、高齢者自身が自分達の技能を使うことと言った両方を可能にするボランティアのサービスのネットワークももっています。退職した人は自分たちのもつ技能にあった軽いボランティアの仕事を1週間に数時間することができます。能力にあわせて簡単なファイリングのような事務の仕事(これはシャーリーが脳卒中後にやっていた)、会計のように技能の必要な事務の仕事、あるいは公共の場所でのガーデニングや病院や市役所での案内係、政府の大きな建物や空港で不慣れな訪問客を案内する係などがあります。もちろんこうした高齢者ボランティアを組織し、訓練し、監督し、助けるには、何人かの人達には給与を払う必要があります。

シャーリー
シャーリー

その2
その2


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最終更新日: 2001/11/18