失語症記念館
受容  

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1.はじめに

2007年08月06日:館長後藤

「全国失語症電子メールの会」は、北は北海道、南は沖縄までの会員が在籍しています。

山本弘子氏(言語聴覚士)から
全国失語症友の会連合会は対談集を発行したいと企画を進めています。
お聞きになりたいことなどありましたら山本までどうぞお知らせください。
と云うメールが投稿されました。

これに対して、谷川氏から受容や 許容・克服についての質問がありました。
谷川氏からのメールに反応して幾つかの投稿がありました。

失語症記念館は「全国失語症電子メールの会」だけで読むのはもったいない、メールの会以外の人にも是非読んでいただきたいと思いました。投稿者の了解を戴いてここに公開することにしました。

2.

2007年08月06日:谷川

対談方式で本を出すとのこと、待ち遠しいです。
そこで、聞いて貰いたいことがあるのですが、障害者の受容とか障害者の許容・克服だとかを言っている先生方がいらっしゃいますが、本当に受容とか許容・克服していると思っているのでしょうか。私には疑問です。何時も、こんな病気になってとか、何故こんな病気に克てないのか、と思っているのが現状です。こんな自分を疎ましく感じるのは私だけでしょうか。

3.

2007年08月06日:  森川

そしてSさんのメール。
重い話題ですが、9年前を振り返ってみました。

谷川さんが書かれている障害に対する「許容」「受容」「克服」について。
Sさんがベッドの上で涙ぐんでいた姿は、9年前の私です。
一言も言葉が出ない自分。何がして欲しいか?
妻が単語を並べても、首を横に振るだけ。
最後はベッドの上で暴れ出す毎日。
最初に出会ったST。それからお世話になったSTの先生方。
沢山の事を学び教えられ、現在の自分があり、生活があるのは、先生方力である事は間違いのない事実なのですが....。
しかし、今自分に受容出来たのか?克服出来ているのか?
と問われた時、答えは『NO』です。
自分の意志の弱さと、現在の自分の健康状態が、そう言わせるのかも知れません。
私の場合、情けないかな、今「あきらめ」の状態です。
今日書いている事は「グチ」です。
右片麻痺(上肢全廃)の為、左半身に全ての負担が掛かるので、左手首.肩.肘の順でダメになり手術。
しかし、痛みは相変わらず。運転もハンドルを回すのが困難になり、左膝は散歩が出来なくなりました。
睡眠時間4時間の中で、痛みで目が覚めるのが最低2回。
夜中ベッドに起きあがり、痛みが取れる迄じっと座っています。
右麻痺ですから、座っていると体が自然に右に傾き、ベッドから落ちそうになります。
その時思う事は「このまま倒れて、目が覚めなければ楽なのに」。
それを傍で見ている妻は、神経過敏になり、私以上に辛い日々を送っています。
病気になって以来、私自身が周りの方々の動きや表情に敏感になりました。
私の妻は大雑把、典型的なB型。毎日腹が立つことばかり。
それに対して大きな声を出していたら、妻は生きていられないでしょうから。
これも「受容」の一つ?違うなあ...。
もう一度生まれ変われたら、矢張り妻と一緒になりたいです。
妻は「真っ平ゴメン。顔も見たくない」と言っております。

痛みに耐えながら、発症時STに奨められて以来描き始めた絵は、歯をくいしばって描き続けています。
妻には「手首に悪いわよ」と言われながら....。
上手く書けませんでしたが、此処までの所要時間4時間。
こんな非建設的なメールは、発信をためらっています。
皆さんゴメンナサイ。

4.

2007年08月06日: 言語聴覚士 小薗 真知子

メールの会の皆さん、こんばんは。

最近、障害受容というコトバを私は使わないようにしています。
新米のSTの頃は、早く障害を受容してもらわなくてはと焦っていたようです。
でも、ある患者さんから、『回復は難しいとある部分では思っていても、奇跡的によくなるのかもしれないという一縷の希望があるからがんばって生きていけるんだ。』というようなことを話されて、とても自分の浅はかさを恥じました。
ずいぶん時間がたつのに、そのときの気持ちは忘れられません。

手首の痛みがあっても、私なんか足元にも及ばない絵を描かれ、4時間もかけてメールを打たれる、森川さん。すごい力のあるメッセージです。

STの仕事は、どのような形でもいいので言語障害のある方々の発信を受け止める、または、気持ちよく発信していただく、そんな役目ではないかと日々の業務の中で思っています。

5.

2007年08月07日:  O氏

こぞの先生
お聞きしたい事があります。『早く受容してもらわなくては・・・』
とありましたが、どうして以前は早くと思われたのでしょうか?
私は主人が入院中、受容がないから・・・とか早く受容しないとと散々言われました。
私がそのことにすごく悩みました。

受容がないからよくなっていかないと言う風にもとれたし、受容したらよくなるの?とも。今思うとそこの説明はなかったように思います。
山本先生に受容の件でアドバイスを頂きました。病院とは両極端のことだったので目が点になりました。
うちは相変わらず受容しません。気がついたらあれ?これもできるようになったねという感じですごしています。
患者の家族からすると、いくら病院の敷居が低くなったといえども、初めての事でわからない事だらけで、家族の入院はいろんな時間の制限を受け、頼れるのは今お世話になっている病院であり影響力は多大だと思います。
失礼を承知であえて質問させて頂きました。すみません。

6.

2007年08月07日: 言語聴覚士 小薗 真知子

こんばんは。
ご質問ありがとうございます。私の経験と、今感じていることをお伝えしたいと思います。また、変わっていくかもしれませんが・・・。

   ≫お聞きしたい事があります。『早く受容してもらわなくては・・・』
とありましたが、どうして以前は早くと思われたのでしょうか?

   ⇒リハビリを仕事としているものとして、何か結果を出さなくては、目に見えて良くなってもらわなくてはという、あせり、強迫観念にとらわれていたのかもしれません。
自分達が治してあげなくてはという錯覚があったのかもしれません。
だから、もしそれができないようだったら、生活の中で適応していただくよう援助するのが、次の仕事と考えていたと思います。今でもそう考えているセラピストが多いかもしれません。
患者さんやご家族の気持ちの流れよりも、リハビリのプランの進み具合に気をとられてしまいがちです。

今私が感じるのは、回復力はその人の中にあるもので、セラピストの仕事は、本人の中にある可能性を引き出すことだということです。

言語に代表される、脳の機能は入院の2,3ヶ月で目に見えて良くなるとは限らず、長い時間の流れの中で、Oさんが言われるように、
  『気がついたらあれ?これもできるようになったねという感じですごしています。』
ということが多いのではないかと思います。

私も、気がついたら23年間、言語障害にかかわる仕事をしています。
新人の頃、どうにも訓練を受け入れてくださらなくて困っていた方が、今は笑顔で趣味を楽しんでいらっしゃるのをみると、人の生命力の強さというものを感じます。

言語の能力を引き出すための言語訓練が必要な時期もありますが、本人がそれよりも生き生きとできる時間を見つけられるのだったら、脳が活性化するという意味で は訓練室での言語訓練にはこだわらなくていいのかも知れません。

STとしては、顔をしかめてする訓練ではなく、今日も先生と会えてよかった、心楽しい時間だった、と言っていただけるようなプラスの時間を作りたいと思っています。

また、言葉が完全になってから、あれをしようこれをしようというのではなく、言葉の障害を持ちながらもできることをできるだけ見つけることが、回復に役立ちますよということも伝えます。
この意味を『障害受容』という言葉で言っている人も多いと思いますが、それが当事者の方々に十分伝わらなければ意味がないですよね。

人間は、生きている限り成長していくものですから、できなかったことが一つできるようになるということは、障害のあるなしにかかわらず全ての人が経験できることです。

私はいつもそういう思いで生きています。

7.

2007年08月08日: 森山

久し振りの、森山です。
いま、話題になっている「受容」と言う言葉に、僕なりの受け取った感想をいいます。

僕は、1997年の7月に脳内出血が原因で右半身マヒ、失語症と診断をされました。

その時は、47才でした。 最初は、ショックで生きるのに望みを失い、「自殺」の事ばかりを考えてリハビリはいっさい受け付けませんでした。
その姿を見て、妻も、子供も悲しむばかりで、最後には「一人で死ぬんだったら、みんなで死のう」と言われ、その言葉を聞いて、反対に僕が反省をさされ気持ちを入れ替え、今の僕が現在も元気?に生きています。

病院もこの病気の治療には限界があるだろうし、STさんも一歩、一歩の積み重ねだろうし、一番重要なのは
患者本人の考え方、「受容」だと思います。
病院の先生、リハビリの先生も一生懸命治療には力を注いでくれていると思います。 それより、時間は掛かると思いますけど、患者本人が「受容」を素直な気持ちで認めて、自分に言い聞かせ、納得をし、自分なりに何か社会参加が出来れば最高だと思います。

8.

2007年08月08日:O氏

小薗先生

お返事ありがとうございました。
よくわかりました。先生方も気持ちは一緒なんですね。
私も本当にあせってました。
主人は入院中一度は怒ってリハビリを受けなかっり、病院の都合もあり退院してからのリハビリも含めて、4人も先生が変わってその都度いわれましたから。
病院と家族のコミュニケーションは難しいですね。

いまは自宅でリハビリを受けてますが、なごやかです。
宿題がやってないと受けないとごねる日もありますが(苦笑)・・・

可能性を信じ続けようと思ってます。
新しいことが一つできるようになると、本当にうれしいです。

退院して半年経ちましたが、私も精神的に大分楽になってきました。
(毎日1回はなんかかんかもめますが、双方がぶちきれる事は減ってきました。)

時間が解決していくことも多いですよね・・・

9.

2007年08月09日:後藤

今日も暑い日ですね 皆さんお元気ですか。

私は幸運だった。妻から聞くと多分、そんなことがあったんだと思うことがある。
手術後、しばらくたった頃看護婦長に何故右手が動かないのかと身振りで詰め寄ったら、「左手があるから・・・」と云われたらしい。
まだ、46歳だ! まだ頑張る方法があるに違いない。
それに・・・。
「俺がいないと、妻はどうなるのか!」
以来、身振りだけの私は利き手交換・言葉の訓練などのため手術後3ケ月目で当時数少なかった総合リハビリテーション病院に転院。退院後、ソフトの知識がない状態からソフト ウェアを製作するため、知識・技能交換を独学で行う。もう20数年になる。

障害受容の話は微妙な話です。本人、家族、受容を話す関係者(ST・医者など)の意志の方向が合ったときが効果的なのです。良い関係者にめぐり合うかどうかは運・不運としか云いようがありません。
「私は幸運だった!」と思うようにしている。

遅くなりました。私の障害受容ついての感想です。

10.

2007年08月09日: 言語聴覚士  山本 弘子

私が以前お会いした患者さんで90歳を越える男性がいらっしゃいました。
失語症ではなく構音障害の方でしたがお名前を言っていただいてどうにか分かるか?といった程度の重症の方です。
体の障害も重く、立ち上がることも自力では困難でずっと車椅子に座っておられるので腰や背中が固まって、夜ベッドに移っても暫くは背中がマットにつかないほどでした。

この方は遠藤先生の失語症旅行団の常連さんで私も何度かご一緒しましたが 旅先でバスに乗るとメモ用紙を求められ、何をされるのかと思うと旅の情景を一句 詠む、 海外旅行に出かけられるとなるとご家族に内緒で事前に通販で双眼鏡やらお帽子やら次々購入される、 帰られると過去の経験や様々な思いを挿入した見事な旅行記をお書きになるなど実 に見事に旅と生活を満喫しておられました。

海外旅行に行ったときにはPTと私とご家族と3人がかりでお風呂にお連れして バスタブに入って頂くと、長風呂がお好きで・・・ 私達のほうがのぼせてしまって 「そろそろ上がりましょうか?」と促しても首を振ってゆったり楽しまれ にこにこの笑顔で床につかれたことが印象に残っています。
見事な介護され様でした。

博学で、知性豊かでユーモアに富み、いつも穏やかな笑顔でご家族やお仲間の方々 を気遣われる素晴らしい方で、私はこの方から人間の素晴らしさや人生の楽しみ方など多くのことを学びました。

残念ながらもう今は亡くなられてしまいましたが、この方に「障害の受容」につい てお伺いしたら何と答えられたかな、と考えました。
病気になって障害を負われたことについて無念なお気持ちがありませんかとお聞き したら きっと「有る」とだったのではないか?
でも、障害を負ってからの人生がお幸せだったかとお聞きしたらきっと「yes」だ ったのではないか?
更に、障害を負ってからの人生でそれ以前と違った喜びが無かったかお聞きしたら 「あった」と笑顔で言って下さったのではないか、などとお顔を思い浮かべながら想像してしまいます。

私もお仲間の方々もそのご家族もこの方から多くの事を教えられ、豊かな気持ちに させていただいたのでした。

長くなってすみません。以下・・・省略・・・。

11.

2007年08月09日:森山

谷川さんが言われるように簡単に受容とか許容をしてる訳ではありませんよ!
それまでに幾度の山を乗り越え、谷を超え、最後にたどり着いたのが、この「受容」と言う答えでした。

メール文では、あまりにも長くなるので中略はしていますけど・・・あの時の事を思い出したら怖くて今夜は寝れそうもありません。(冗談)

この病気や障害は誰の責任でもありませんよね。
悔しくて、愚痴ばかりをこぼしているよりも、一日も早く立ち直って新しい次の人生を見つけるのが一番のリハビリだと確信をしています。
時間は掛かりますけど、それが「障害受容」だと思っています。

生意気な事を言ってスイマセンでした。
お互いに頑張りましょう!!

12.

2007年08月10日:谷川

森山さんへ
あなたが言う、山越え谷越えして、最後に感じたこと、それが「障害受容」だと言いました。
実際それも本当でしょう。しかし、それだけでしょうか。何もかも投げ捨てて「障害受容」に頼っていっていったとしたら、それは単なる言葉の遊びではないでしょうか。
「障害受容」は死ぬまで問い続けて、死んでいくのが人として生きる道かと思います。

実際に私も友の会「○○の会」、市障害者福祉協会、地区社会福祉協議会、地区在宅療養者、市身体障害者相談員などをしている一員ですが、決して「障害の受容」を忘れた訳ではありません。
常にそのことを念頭に置いて生きていることは間違いないのですが、心の底に疑問として残ってあるのが正直な気持ちです。
ですから、小薗先生も最近は、「障害受容」と言う言葉は、使わないようにしていると言っているのです。

13.

2007年08月10日:森川

森川です。

残念ながらもう今は亡くなられてしまいましたが、この方に「障害の受容」についてお伺いしたら何と答えられたかな、と考えました。
病気になって障害を負われたことについて無念なお気持ちがありませんかとお聞きしたら、きっと「有る」とだったのではないか?
でも、障害を負ってからの人生がお幸せだったかとお聞きしたらきっと「yes」だったのではないか?
更に、障害を負ってからの人生でそれ以前と違った喜びが無 かったかお聞きしたら「あった」と笑顔で言って下さったのではないか、などとお顔を思い浮かべながら想像してしまいます。

私に当てはめて見ました。
今、自分があるのは、遠藤先生.山本先生.他多くの先生方の導きの賜です。
友の会を立ち上げ、頑張って来られたのも、先生方の指導無くしては考えられません。
でも、その先生方を裏切る様な 「受容」 についての 「 NO」。.
「何故?」と言われても、 分かりません。
先生が書かれた90歳を越えた男性は、凄いとしか言いようがないです。

障害に対して、不幸と思った事はないか? 「ある。ある」。

毎日感じてます。何をするにも不自由。食事.トイレ等々。
硬直の進行。思うように出てこない言葉。

障害を負って以後の生活で、喜びを感じた事は?。
喜びと感じた事はありません。
森山さんの様に達観し、充実した人生を送れたらと思いますが、私には無理でしょうね。
最後まで申し訳ない、申し訳ない、と妻に言いつつ死んで行くのでしょう。
情けない、ダメ男ですよ。

14.

2007年08月10日:森山

森山です。 返信メールを有難う御座いました。

メール文の話し合いですから、あまり僕の気持ちを話せないのが残念です。
また、谷川さんの本心を聞かれなくて残念にも思っています。
「障害受容」・・・と言う言葉は普段は使わないようにしていましたけど、今回の話題がそう言う内容だったのでつい発言をしました。

僕たち、生活を支えるためにはいつまでも障害者、障害者、と被害妄想ばかりに頼る訳にはいけません。
数年はショックで立ち直れない時期もありましたけど、いまは何とか充実した日々を過ごしています。

何故そこまで『障害受容は死ぬまで問い続けて、死んでいくのが人として生きる道』と、こだわられるのですか〜??
普段、元気だった人が障害のある僕たちよりも先に死ぬ場合もたくさんあるあるでしょう。?
そう言う人はどうなるのでか〜? 死ぬときは皆一緒な立場でしょう。

それと、「障害受容」と言う言葉はけっして言葉の遊びではありません。!!
生きるための最後の言葉だと思っています。

その言葉も廻りの家族やSTの先生に言わされるのじゃなくて、患者本人が決意をする事です。
そうじゃなかったら後々、後悔が残ると思います。

長くなりますので・・・終わりにします。m(__)m

15.

2007年08月11日:谷川

森山さん!谷川です。
森山さん!障害者、障害者と何時までも、被害妄想に拘わっている訳ではありません。

しかし、失語症者として、また障害者自身として、国政にあるいは地方自治体に訴えることは、やっていかなければならないと思います。
森山さん!私が「障害受容」は一生背負っていくと言っているのは、障害を受けた者は、途中からリハビリを受けた結果、「これで良いのだ」と「障害を受容」と思っている方々に、それで良いのか、もっともっとリハビリ(これには有りとあらゆることが含まれます)に精を出して、元の身体に少しでも近づけようと思っているから、言っているのです。
森山さん!健常者(私はこの言葉が嫌いです)と障害者との死期の違いは、それは「神のみが知る」が答えです。
森山さん!煎じ詰めれば「受容・許容・克服」と言う問題は、個人個人が、それまで長い間係って取り戻した言葉と手足の動きの問題を、どのようにして思うかで決められると思うのです。
私も「会」の代表と言う関係から、この問題に対しては、その人その人の感情のあり方によって、言い方を変えながら、話して来ている状態です。ですから、最後に言った私の言葉が、私の言いたいことなのです。
      
16.

2007年08月11日:言語聴覚士  山本 弘子

おはようございます。山本です。

私の思うことは2点です。
@障害の受容ということは人に言われてはいそうですかと出来るようなそんなに簡単なことではない。
Aでも、人間にはどんな障害をおっても今日を楽しみ、明日を思う逞しい力がある。ということを私自身が多くの方々から学ばせて頂き、たびたびくじけそうになる自分への励ましにしている。
これだけです。
      
17.

2007年08月11日:後藤

長くなりました。とりあえず終了します。
障害受容はそれぞれの人の思いがあり、それぞれの考え方とか立場など自分で処理している筈です。

「この人はこんなことを胸に秘めているんだ」とわかりあって理解することが大事でなのではないでしょうか。
      

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設定期間:2001年3月15日〜2001年12月31日
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