失語症記念館
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第6回残語と失語症

神戸大学医学部保健学科
 関 啓子

2005年4月:

 大学では3月の末に卒業式が行われ,多くの若者が友人や教員との別れを惜しみながら新しい世界へと巣立っていきました。また,それからわずか2週間足らずの4月の初めには入学式が行われ,まだまだ幼さが残る新入生が仲間に加わりました。春は出会いと別れの季節と言われることがありますが,学生を見ているとまさにその通りだと感じます。それぞれの式で交わされた言葉は様々でしょうが,「おめでとう」,「ありがとう」,「こんにちは」,「さようなら」,「初めまして」,「よろしく」などのような,挨拶に関係する言葉は,誰もが必ず口にしたのではないでしょうか。
  辞書によると,挨拶語とは「人と人とが出会ったときや別れるときに交わす儀礼的な言葉」(大辞林第二版)のことだそうです。定義から言えば,このような式の席上で挨拶語が多用されるのは当然と言えましょう。考えてみると,挨拶語は日常生活の中にすっかり溶け込んでいるようです。ですから,この他にも朝晩の挨拶「おはよう」や「今晩は」,食事の前後に「いただきます」や「ごちそうさま」,寝る前に「お休みなさい」,さらにはねぎらいの言葉として「ご苦労様」や「お疲れさま」など,私たちはいくつもの挨拶語を思い浮かべることができます。
  確かに,挨拶語は辞書の言うとおり儀礼的かもしれません。しかし,挨拶を交わすにふさわしい場面でこのような言葉をかけられると,私たちは自然にうれしくなったりさわやかな気分になったりするのも事実です。挨拶語は間違いなく人の気持ちを和ませ,人間関係を円滑に保つための潤滑油のようなものだと感じます。もちろん,手を振ったり握手をしたりする動作も挨拶語と同じ意味を伝えます。しかし,単独で動作だけを行うことは少なく,ほとんどの人は言葉を動作に添えて挨拶の気持ちを表わすのではないでしょうか。

 挨拶語についてこれほど長々と書いたのは,私にとって忘れることのできない挨拶語にまつわる失語症の方との思い出があるからです。全失語のこの方にとっては,「おはよう」だけが唯一の意味ある言葉でした。もちろん朝会えば「おはよう」と言えたのですが,「ありがとう」という言うべき時にも「おはよう」,「さようなら」と言うべき時にも「おはよう」と,会話を始めるとほとんどどんな時でも「おはよう」が口をついて出てしまうのでした。それ自体は残念なことではあるかもしれません。しかし,驚くべきことに,この方は同じ「おはよう」を使っていながら,場面に応じて適切に気持ちを表わすことができたのです。周囲にいる私たちには,この方の「おはよう」が,まるで「こんにちは」とか「それでいいよ」とか,その時々の気持ちにふさわしく伝わってきたのです。どうしてそう感じたのかといえば,おそらく声の大きさや語調,さらには表情や身振りとなどを状況から判断して周囲が推測した結果だとは思います。しかし,ご本人の見事なまでの「会話」に,私は鮮烈な衝撃を受けました。私はコミュニケーションの本質を考えさせられた気がしたのです。

 この方の「おはよう」のように,場面とは無関係に表出される言葉を残語と言い,重い失語症者に多くみられます (Blanken G et al: Dissociations of language functions in aphasics with speech automatisms (recurring utterances). Cortex 26: 41-63, 1990)。Brocaが最初に報告して有名になった失語症者は「タン,タン」としか言わなかったそうです。この「タン症例」は最初のBroca失語症者とされてきましたが,最近の検討では全失語だったのではないかという疑問が提出されています(Selnes and Hillis: Patient Tan revisited: a case of atypical global aphasia? J Hist Neurosci. 9:233-237, 2000)。限られた言葉しか見られないこのような状態は,繰り返し出現するという意味から再帰性発話の一種と考えられますし,いつも同じ表現が出現するという意味では常同言語と表現することもできます。「おはよう」は意味のある単語でしたが,単語の形に至らず単なる音の羅列が出てくることも,単語より長い句が決まり文句のように発せられることもあり,またその表現は意味が通る場合も無意味な場合もあります。私が経験した残語には,「おはよう」以外に,固有名詞や「23プラスマイナス」などといった半分は理解可能な表現,さらには「シェマシェマ」といった意味不明な言葉がありました。

 残語として残りやすい語には傾向があるように思われます。一つ目は,幼い頃から何度も何度も繰り返し言ってきたために,ほとんど自動化されているような言葉です。中でも,数字や月名,曜日,五十音,「いろは」などの系列語は一緒に出だしの部分を言いさせば,その後は独力で言い終えることができることもあるようです。二つ目は,感情に関連した語です。「バカヤロウ」とか「アホ」などのような罵りの言葉,「アカン」,「ダメ」,「イヤ」などの情動に結びついた否定的な表現は残りやすいようです。情動は大脳辺縁系と呼ばれる古い脳の働きと考えられていることと何か関係があるのかもしれません。
 言語に限らずハイレベルの脳機能においては,指示されたり自分でやろうと思ったりした時にはうまくできないが,適切な状況の中では自然にできるという,いわゆる意図性と自動性の解離現象がしばしば観察されます。言語室でコップの絵を見て名前を言うのに悪戦苦闘する失語症者がいたとします。ご本人は毎日使っている物の名前が言えず,気落ちして部屋に戻りました。そして,喉が渇いたので水を飲もうとしてコップを探すといつものところにありません。こんな時,奥さんに向かって「おい,コップ,コップ」という言葉が自然に口から出てくることがあるのです。これは残語の特徴と併せて大変示唆に富む現象と思えてなりません。

  

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最終更新日: 2005/04/27