失語症記念館
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第3回  失語症者と社会的孤立

神戸大学医学部保健学科
 関 啓子

2005年1月:

 今日1月17日は神戸に関係ある人にとっては忘れられない日です。6500人近い尊い命を奪った阪神・淡路大地震が発生した記念の日だからです。あれから10年が経過し,神戸のまちは復興しているように見えます。毎日私が通っている大開通りという道路は,あの日蛇のようにのたうち,この通り沿いに広がる長田地区では多くの建物が焼失しましたが,今は整然とした町並みに戻っています。また,神戸東側の阪神高速道路は横倒しになり,三宮近辺では大きな建物がおもちゃのように倒壊しましたが,今は元通りです。しかし,表面上復興は進んでも,人々の心の傷は癒えていないと指摘する人も多くいます。
  私が勤務する大学では,犠牲となった教職員2名,学生・研究生45名の慰霊行事が本日行われました。この日のためにご家族から寄せられた手記には,突然の災害のために前途ある若い命を絶たれたことへのやり場のない怒りや無念な思いが切々と述べられています。私の学生の中にも,肉親や友人を失った悲しみを引きずる人や未だに地震の恐怖に襲われることがあると語る人もいて,災害の爪痕はまだ消えていないことを感じます。昨年は新潟県中越地震,スマトラ沖地震と国内外で大規模な地震が続きました。亡くなられた方々のご冥福とご遺族や被災した方々の心の痛みが少しでも和らぐことを願わずにはいられません。

 大きな災害ではお年寄りや子ども,あるいは日本語によるコミュニケーションが困難な外国人などのような,いわゆる災害弱者の問題がしばしば論じられます。阪神・淡路大地震後でも,被災者用仮設住宅に入居した方の「孤独死」が社会問題化しました。仮設住宅から復興住宅に移り住んだ3万2千人のうちの4割が高齢者の一人暮らしだそうですが,これまで327人が誰にも看取られずに亡くなっており,その死因の13%が自殺だそうです。
  昨年秋に開催されたシンポジウムでも,独居者の自宅死亡例は震災後も増加傾向で,そのうち男性が6割強と多く,自殺は死因の15%にのぼること,また遺体引き取り人がいないなど他の人に気づかれない死亡例が増加していることが報告されました(神戸大学医学部学術シンポジウム「震災後10年 何が変わったか?これから目指すべきものは何か?」)。このように高齢化が進み高齢単身世帯が増加している社会においては,社会的に孤立した人にいかに寄り添うか考えることが今後の課題と思われます。

 私が臨床活動をしている市内の病院には,失語症の方が多く入院されています。中には震災のために住み慣れた土地から復興住宅への移住を余儀なくされた方もおられ,その多くが独居の上に身寄りがないことに私は大変驚いています。この方々のご苦労を詳しく知ることはできませんが,どれほど大変なものであったかを想像することはできます。キーパーソンとなる配偶者や家族がいないということは,入院中の訪問やケアがじゅうぶん受けられないだけでなく,退院後どこに住むかという今後の方針にも大きく影響します。私たち言語聴覚士は,このような患者さんができるだけ社会的孤立に陥らずに済むようにリハビリテーションのゴールを考えますが,現実にはなかなか難しい問題です。

 脳血管障害を発症してから入院するまでにどのような要因が影響するかを調べた研究があります。これによると,搬送までの時間は調べた人の半分までが発症から6時間以内に入院しており,年齢,性別,病因などとは関係しませんでした。特徴的だったのは社会的関係が希薄になりがちな独居者や退職者の発見が遅れたことで,この結果から社会的なネットワーク作りの重要性が指摘されています (Jorgensen HS et al.: Factors delaying hospital admission in acute stroke. Neurology 47: 383-387, 1996)。人は支え合い励まし合って生きる社会的存在であることを再認識させられる研究です。
 一方,失語症者の心理社会的問題は,たとえ家族がいたとしても大変深刻であることが繰り返し指摘されています。患者さんにとって,失語症はある日突然に襲ってきた災難のようなものです。患者さんから自由なコミュニケーションを奪うばかりか,時には移動の自由を奪い,仕事を奪い,家庭内での役割を奪い,自尊心や笑顔を奪うこともあります。さらには,抑うつに追いやったり,家族の和を乱したり,社会的孤立へと導いたりするのです。家族が患者さんを理解できず適切に対応できない場合には,ご本人だけでなく家族にも心理的葛藤が生まれ,両者の不協和音は大きくなります。脳血管障害の患者さんを抱えた家族は発症から3年経過しても,なお3割が適応不良を示すそうです。配偶者が失語症者の場合は,非失語症者の場合に比べるとさらに悪く,余暇活動や夫婦関係などの点での適応不良が報告されています (Kinsella GJ et al.: Psychosocial readjustment in the spouses of aphasic patients. Scand J Rehabil Med 11:129-132, 1979)。
 私もこの報告のように失語症ゆえに家庭崩壊の危機に直面するご夫婦に接した経験があります。しかし,失語症を契機に家族の絆がより強まったご夫婦も知っています。何がこのような違いを生むのでしょうか?私の印象ではタイプや重症度など失語症自体が原因ではなさそうです。家族が失語症に関するセミナーを受講した家族―失語症者の組み合わせは受講しなかった家族―失語症者の組み合わせより失語への理解が深く,両者の関係が良好であったという報告 (Jacqueline JH et al.: Family education seminars and social functioning of adults with chronic aphasia. J Com Disord 34: 241-254, 2001) があります。これは慢性期の失語症者と家族を支えるためのひとつの方法であると思います。

  

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