失語症記念館
素敵な人々

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仕事と友の会の私の近況

松岡 孝一空白
熊本県下益城郡在住空白

2001年 12月:

 私は、何回か仕事の依頼がありましたが、言葉の自信がありませんでしたので、その都度、お断りしておりました。しかし、平成12年6月頃から、言葉も良くなったので、もうしばらくは「世の中の役に立ちたい」と考えるようになりました。
 平成11年5月、東京都STの山本弘子先生から「来年6月には国際失語症週間というのが制定されるそうです。日本でも大きな運動を展開したいと友の会連合会で相談しているところです。熊本でも頑張って下さい 。」と電子メールが届きました。私も何かイベントでもしたいなと考えておりましたが、これが「熊本・失語症のつどい」の切っ掛けになりました。
 平成11年11月から私のST先生(熊本託麻台病院の小薗真知子先生)は、先ず、テーマをつくらせ、それを話しあいながら、訓練する方法をさせてもらっていました。最初は「失語症についての啓発はどうすべきか」を話し合っていましたが、平成12年1月から、そのテーマを「熊本・失語症のつどい」一本に絞りました。私がそれぞれの文章を書き、ST先生が添削することで行いました。

 県内の保健所、市町村の健康センター、上記の団体する名義後援等、をチラシを持ってPRして廻りました。
 そして、「失語症のつどい」(平成12年6月10日)を開催し、記録集を作り、「友の会」等の会議をするうちに、「アレ、今とは違うぞ」と思うようになりました。会議では説明はできますし、頭脳(判断、決断等)も良くなるようになりました。そして、昨年12月の中旬に後輩を通じて「食品衛生管理の仕事をしたらどうか」と依頼がありました。
 私は、昭和38年から平成10年3月まで県庁で勤務していましたが、一貫して生活衛生行政の仕事をしてまいりました。
 今までの食品の品質管理は、主に最終製品の抜き取り検査(微生物の検査)が中心であり、検査結果が判明するときには製品は出荷後となっていました。もし、製品不良が発生してもその対策は事後処理となり、食べてしまった後では取り返しがつきませんでした。
ところが、県庁を後数年で退職というとき、私としては、眼が覚めるような「食品衛生管理の手法」を知ったのです。もちろん、何回か講習会にも行きましたが、これさえ管理しておけば、食品衛生は完璧であると思いました。この手法というのがHACCP(Hazard Analysis Critical Control Point )であります。
 難しい言葉ですが、“危害分析重要管理点”と約します。もともと、米国で考案された宇宙食の高度な安全性を保証するシステムのことでしたが、原材料から消費者までのプロセスで危機の発生を監視し、その記録を保管して衛生管理に活用するというHACCPが、広く一般の食品衛生管理にも利用されはじめました。

 今回の仕事をすることについて、ずいぶん考慮しました。言語聴覚士先生にも相談しましたが、「言葉も良くなったようですし、仕事しても良いんじゃないですか」と返事をもらいました。また、私の母校は、「役に立つ善人」を育成することを創立以来の教育方針と定めています。私は、せっかくの食品衛生の専門でもありますので、役に立つべきだと考えるようになり、仕事をすることに致しました。ただ、Y乳業工場で製造された低脂肪乳など乳製品による集団食中毒事件が、1万4千人をこえる、食中毒としては戦後最大になってしまいましたが、この事件がなかったら私の仕事もなかったのではないかと思います。

 熊本県酪農業協同組合連合会・らくのうマザーズ(牛乳工場)品質管理部顧問として、平成13年1月5日から仕事を始めました。
 私の仕事は、8時30分〜17時30分です。このらくのうマザーズ牛乳工場は、午前2時から始まります。受入検査−冷却・貯乳−清浄−均質(脂肪を細かくする)−殺菌・冷却−充填(ビンや紙容器につめる)−冷蔵(5℃)−検査(細菌・成分・風味等)−出荷の行程です。私は、8時30分の例会で品質管理部の職員から現在の状況を説明して始まります。そして、いろんな説明の後、工場に入り、特に、食品衛生管理について監視し、不適があったら指摘します。ただ、私と職員とは、何時も仲良くしながら、不適があったら指摘できるような関係にしたいと努力しているところです。
 食中毒ではありませんが、農林水産省が、今年8月6日に処分された乳牛1頭(ホルスタイン種、雌、5歳)について、(独)動物衛生研究所で検査を行った結果、牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathies=BSE・別名 狂牛病)の疑いがある旨が公表したことで、現在の騒動が発展した。
「牛乳を飲んでも安全できますか」とよく問い合わせますが、「牛乳を飲んでも、牛肉や乳製品を食べても安全です。」と答えております。確かに、農水省の対応が良くなかったと思います。
 いま、仕事から1年になろうとしていますが、工場も少しずつ変革が出来るようになってまいりました。もう少し、仕事を続けていきたいと考えています。


 私は、失語症(ウエルニッケ失語)で「聞き取りの障害」がありますので、迷惑するのではないかと考えていましたが、最初から障害がありますから、と話しておりましたので、問題はありませんでした。
 3年前から「熊本たくま会」(失語症友の会)の役員をしています。言語聴覚士の先生が、「熊本たくま会」五周年記念誌の「一人一人の進歩を目指して」のなかで、「グループ訓練に来られている軽度の失語症を持つ方々が、言葉の力は十分に持っていらっしゃるのに自信がなく、社会的にあまり使っておられない事を《もったいない》と感じ、そのエネルギーの使い道はないかと思い提案したのがこの友の会でした。」と書いてありますように、失語症者を中心に、相互の親睦と交流を深め、協力して克服することを目的に、当時参加者二十名で熊本たくま会(失語症の友の会)が発足しました。
 友の会の名称は、熊本たくま会(失語症友の会)といいます。活動は、例会は、第二金曜日/毎月。他に失語症教室、カラオケ会、小旅行等の開催。お食事、会長挨拶、たくま会の歌、言語訓練の発声練習、口の体操、理学療法士のリラックス体操、ゲーム等、私が作曲した「言葉に活きる」(歌)。他に医療関係の講演会、野外の例会、小旅行、足を伸ばそう会を行っています。会報は、毎月第一金曜日に発送を行っています。私の活動は、例会のお世話や例会の報告と2〜3本の原稿を書いております。


 「熊本・失語症のつどい」を開催する前後に「友の会」が発足され、熊本県内での失語症友の会は、七団体になりました。団体に入会している人は、ある面では幸せであると思います。まだまだ、閉じこもっている人たちも多いのではないでしょうか。失語症者の家族は、最初は混乱してどうしてよいのか途方にくれていたことと思います。やがて、多くの失語症者やその家族に出会うことで、少しずつ良い方向を見つけていくのではないかと思います。私も「たくま会」に入会した最初の例会を何ともいえない安堵感を今でも覚えています。
 今後とも、一人でも多くの失語症の仲間を増やし、閉じこめのない、明るい生活ができるようにしたいと考えていきたいと思います。
2年前からは「すずらん会」(脳卒中友の会)と「脳卒中友の会連合会」の役員会をしています。仕事も友の会も、趣味の音楽、写真も、すべて訓練だと思っております。そして、いつかは、もとのような言葉になりたいと思って努力しているところです。
 その他に、大学同窓会副会長、町の文化協会理事、町のフォトクラブ会長、たくま会(失語症友の会)幹事、すずらん会(脳卒中友の会)副会長、県脳卒中友の会連合会理事、県失語症者有志の会長をしておりますが、全て失語症の訓練のつもりで行っております。

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最終更新日: 2009/09/10