失語症記念館
南イタリアの旅

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45.恐るべしレース編み

2004年 8月:

 5月3日木曜日曇り時々雨。日本を発ってから、12日目の朝。「せっかくだから、島に行こう。」という夫の言葉に従い、ブラーノ島行きを決める。ヴェネツィアングラスで有名なのはムラーノ。まゆみが今日行くのはブラーノ。
 サンマルコ広場を抜けてヴォバレット乗り場に行くと、「ムラーノに行こう!」という勧誘がそこら中にたむろしている。
「ブラーノへ行くの!」そう答えると肩をすぼめて別のカモを探しに行ってしまう。あの人達は年中、ああやってカモ探しで生活してるのだなぁとある感慨が脳裏をよぎる。
 ブラーノはヴォバレットで約30分くらいの所にある漁師の住む島である。高級リゾートとして有名なリド島が途中に見える。ただし、シーズンオフのリド島は何かしら華やかさにかけ寂しい。ブラーノ島が近付いてまず目に飛び込んでくるのは色とりどりの鮮やかな塗料で塗り固められた家々である。赤や黄色や緑やオレンジ・・・。美しい色の家々が、船着き場から、川沿いに綺麗に並んでいる。まるで絵本の世界のようだ。これは、漁師がどんなに霧の濃い、視界の悪いときに戻ってきても自分の家を簡単に見つけられるようにと言うことらしい。何となくおとぎ話の国に来たようなちょっと弾んだ気分になる。
 島は・・・はっきり言って何があるというわけではない。強いて言えば、レース編みの学校とその展示施設くらいのものだろうか。そこら辺の売店に置いてあるレースはメイドインチャイナなんかで、本物は置いていない。ここで編まれているレースは、普通の人には高価すぎて手に入らない。買えたとしてもコースターかハンカチくらいの小物で、・・・でもそんな小物にさえ、それだけのお金をなかなか出せない。ここのレ−ス編みは、漁業に使う網を編むと言うところから来たらしいが、その精巧さ緻密さはため息がでるほど素晴らしい。
 はっきり覚えていないけれどイギリスの故ダイアナ妃の婚姻の時のベールかなんかが、ここで作られたものだったような。昔は上流階級の人たちのドレスの襟飾りとか手袋、大物ではウエディングドレスなどに重宝されて保護されていたらしいが、今はもうその技法の継承者も非常に少なくなっている。
 入った食堂のおばさんが言っていたけれど、このレース編みをしていた女性はそのほとんどが、失明をしたそうだ。あまりにも細かい緻密な作業を長年やっていると、目に来ちゃうのだ。それに夜の照明なんて、昔は薄暗かっただろうし。電気じゃないけど、使いすぎにご注意って感じ。失明までして作られたレース編みの数々。少し心に痛みを感じながら、展示室を回るのであった。
 この島に渡るヴァボレットの中で、見るからに怪しい日本人がまゆみに近付いてきた。まゆみ、ちょっと焦って、地球の歩き方を広げて知らないふり。
「すみません。その地球の歩き方をちょっと見せてくださいませんか。」
「な・・・(汗)」言葉がでない。なんですと?この地球の歩き方を見せろと・・・。
「どうぞ」おもむろに本を渡すまゆみ。何なのよ、この人。汚い格好でズタ袋のようなものを背負った、そう、年齢は30歳くらい?
「今日泊まるホテル、わからなくなっちゃって。地球の歩き方に載っていたところを昨日取ったんですが、その本、なくしちゃったんですよ。誰かこの本持っている日本人いないかと思ってさがしてたんです。助かりました。」
話を聞いてみたら電通に勤めているというエリ−トだった。でも全然そうは見えない。よく一人で格安の旅をしているという。そして、同僚の女性達に頼まれたブランド品のバックなんかをたくさん買って帰国し次の旅費を出すという。世の中いろんな人がいるものだ。エジプトにも最近行ったという。この正月にはローマに行って、鞄をナイフで切られた日本人女性を見たよと言っていた。
 こういう人ってきっとどこを旅してもどうにか生きて戻ってくるのだろうなぁ。そんな気がするMさんだった。
 これも何かの縁だとお昼を3人で食べることに。小さな食堂に入った途端、急に雨が降り出した。
「電通って、タレントさんなんかによく会うんですか?」ついミーハーな質問をしてしまうまゆみ。
「ボクの仕事は、あまり直接関係しないんです。」
「そうなんだぁ。だって電通社員と結婚なんて言う報道もあるじゃない?」
「そう言う人もいます。」「確かに・・・」確かにMさんとタレントとは結びつかないまゆみであった。
夫はここで、やっと牛レバーがたらふく食べられたと、とても喜んでいた。
「いやあ、南の方は魚介類ばかりでねぇ。肉らしい肉がないんだものなぁ。」
涙目になっている。飢饉が来たらまゆみのすね肉も危ういんじゃないだろうか。
 食べ終わる頃に青空が見えてきた。運がいい。このあと立ち寄ったサンタマリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会は今まで行ったどこの教会よりも質素だった。・・・質素なのもなかなか良いと思う。

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最終更新日: 2004/08/13