失語症記念館
南イタリアの旅

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37.カプリ島

2003年 1月:

 青の洞窟に行くためにだいぶ並んだり、待ったりしたが、約1時間のその旅を終えてみると、何だかもう遠い過去の出来事のような気がしてくるから不思議だ。港には相変わらず  洞窟行きの長い行列ができていた。
島の方を見ると山に向かってケーブルカーが見える。
「あれはフニクラーレだ。行こう、乗ってみよう!」夫の声に従ってケーブルカー乗り場に歩き出した。ああ、やっぱりここも行列だ。並んでいても体の大きな外人達に押しつぶされそうな勢いである。
「ふんふーふふふふふ、ふふふんふふ・・・」夫が押し合いへし合いの中、鼻歌を歌い始めた。
「なーにそれ?」
「フニクリフニクラだっけ?ほらあるだろう。ここーは地獄の釜の中、行こう行こう火の山へってさぁ。」歌う夫。
「ここの山の歌なの?」
「いや確かヴェスビオ火山のことだったと思うけれど。」
あれっ?いつの間にかこの人混みの中、おじさん達がリズムを取りながらみんな夫と同じ歌を歌っている。大きな体のおじさんと目があった。彼はウインクしながら首を振り振りその曲を口ずさみ続けた。夫が言うこのフニクリフニクラの歌は万国共通の歌になっているらしい。順番を待つ間、私達のまわりはいろんな国の言葉でこの歌を歌い続けることとなった。
 予想通り、ケーブルカーもぎゅうぎゅう詰めだった。人の隙間から見た海と町並みの美しさ。ローマ皇帝アウグストゥスが『甘美な快楽の地』と呼んだことにも頷ける。
 カプリ島を地図で見ると何となくイノシシの顔に似ている。だから古代ギリシャ人はここをカプロス(イノシシの意)と呼んでいたらしい。でもその頃上から見るなんて事はなかったはずなのだが不思議だ。この小さな島の人口は現在1万3千人。
 カプリ島の町はどこもかしこも人で一杯だった。狭い町並みの中を行列になって団体が通り過ぎていく。まるで夏の旧軽井沢のよう。まゆみ、田舎者のため人混みが苦手である。お腹も空いていたので、ホテルのテラスレストランに入って昼食と休憩をとることに。ちょっと高級そうなこのホテルのレストランはそんなに混んでいなかった。このホテルのテラスが、観光歩道に面してせせり出ているために、ワインを飲みながら、道行く観光客の頭がよく見える。ルッコラのスパゲティは絶品だったがナポリで食べたらきっと半額で食べられるんだろうなぁなんてせこいことを考えながら道行く人に目を向ける。それにしても人が多い。さすが人気のカプリである。ガイドさんに先導された団体客がどんどこどんどこ通り過ぎていく。カプリに半日観光で来た人たちだ。みんなまわりを見るというよりは、自分のガイドさんを見失わないようにするのに必死の様子である。又、人が狭い道にあふれかえっているのに高級店が並んでいるにもかかわらず店の中に客がいないのも興味深かった。随分前、新宿高島屋ができたとき、話の種にと見に行ったことがあったが、エスカレーターには人があふれていたのにフロアが静かで、これが不況というものかと感じたことを思い出した。
 山の上からの風景を堪能し、一路ソレント目指して帰ることに。帰りはジェットにしたので、本当にあっという間に着いてしまった。港からCラインのバスに乗ってホテルへ。
「ほら降りるよ。」夫に起こされて慌ててバスから飛び降りた。疲れていたのでつい寝てしまったようだ。
「カメラ返して。」
「僕知らないよ。」
「ポケットに入れておいたのに無いよ。」
「僕知らないよ。」・・・バスの中で寝ている間にポケットから滑り落ちたのだ。ここはイタリアだ。もう2度と戻ることはないカメラ。980円のカメラとポンペイとナポリのあのレストランのお母さん達との写真、そして今日の青の洞窟とカプリの記録・・・全てポケットから落としてしまったのだ。南イタリアのメインじゃないの?・・・それをすべて落としてしまった馬鹿者、それはまゆみ!「みんな、あなたが悪いんだよ。しっかりしてないから。みんなみんな、みんなあんたのせいなんだから。」まゆみ半分泣きべそで夫を攻める。可愛そうなのは120%濡れ衣を着せられた夫その人である。
「僕は知らないよ。」
「うわーん、みんなあんたのせいだから?!!!」たぶん・・・いや絶対彼のせいではない。しかしこの悲しみと悔しさを昇華することができない。全部怒りの矛先は彼に向く。しかしまゆみの怒りは全くおさまらなかった。

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最終更新日: 2003/01/04