失語症記念館
南イタリアの旅

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16.アグリジェントの神殿群

2002年 5月:

 バス停からてくてく歩き始めると、ほどなく神殿の一部が見えてくる。
「ああっ、見えたよ、見えた。神殿だぁ。」ちょっと喜んでしまった。
 しかしここで気を抜いてはいけない。そばまで行くには結構な距離なのよ。暑いし、しかも上り坂だったりするし、早起きしすぎでちょっとばて気味。

 ギリシャにある白い神殿とは違い、ここのは薄い赤茶色・・・かな。ここではあのギリシャのような大理石が採れないらしく、普通の大理石とはちょっと違ってもっと柔らかそうな素材の石だ。釘とか尖った石で削ったらすぐに字が書けそうな感じの石。
 だから何となく柱も骨太!ずんぐりしている。昔はこの上に色を塗っていたとか、何か貼っていたとか他の団体バスのガイドさんが外人達に説明していたが、私の怪しい語学力では曖昧な知識しか入ってこなかった。

 途中から大型バスで来ている外人達と合流するので、蟻の行列のようになってやっとコンコルディア神殿へ。保存状態はピカイチ

咲き乱れる花

神殿から見たアグリジェント
の町と咲き乱れる花

アグリジェントの神殿

アグリジェントの神殿
らしい。確かに綺麗な形のまま残っている。ガイドブックにはギリシャ神殿建築の最高傑作などと褒められているが私個人としてはもっとスマートな方が好き。

 この神殿の周りにはロープが張ってあり、中には入れなかった。又修復しているところもあった。こういう古いものをずっと守っていかなければならないってのもひどく苦労のいるものだと思う。

 ところで30年くらい前にこの神殿の谷に不法に住居を構えて住みついた人達が居たらしい。しかも彼らは、世界文化遺産認定後に違法と知っていながら住みついたという。それなのに出ていくように勧告されると「自分たちはずっとここに住んでいたのにそれを追い出すとは人間のすることとは思えん」と、涙を流したり怒ったりしながらのデモまでしたという。
 ずっとというのはこの人達の場合30年くらいのことだが、一般的にずっと住んでいるというずっととはどのくらいの長さが正当なのだろう。この神殿の谷に最初に神殿が出来たのは紀元前。出来てからすでに2千年以上の年月が流れているのだ。

 もしこれが日本だったら・・・法隆寺の境内に家を建てて住むようなものだ。でも法隆寺の境内にテントでも張ろうものなら、いやいやテントを持って入っただけであっという間に追い出されてしまうでしょう?法隆寺の庭に住もうなんて日本人は誰1人考えないだろうし、きっと絶対許されないでしょう?それが神殿の谷にまがりなりにも家を建て、30年も住んでいたなんて。
 2001年1月に国により違法住居群の強制解体という形での強制撤去になったらしいが、どっちもどっちという感じでなんだかイタリアらしい。政策に一貫性が無く、法律もころころ変わるイタリアの国民性が良く出ているような気がする。その時の文化遺産大臣のジョバンナ・メランドリ氏のコメントは「違法建築物を取り壊すことにより、アグリジェントにとってもようやく新しい季節が訪れることでしょう。法律尊守による美しさがイタリアの未来を築く重要な価値です。」・・・こうやってイタリアもイタリア人も少しずつ変わっていくのだろうか。・・・そうは思えない・・・。
 それに日本と同じようになったら、つまらないかも・・・。去年だったらその不法住居群が見られたはずだけど・・・見てみたかったな、ちょっと残念。

 さて神殿観光は終わらない。周りをぐるりと見渡せば、あるある。そこら中に神殿だらけ。でもそれぞれの神殿までの距離があるのでやっぱり歩く。ジョーヴェ・オリンピア神殿には例のテラモーネのレプリカがドデーンと転がっている。この神殿は紀元前、まだ建設途中のうちにカルタゴに破壊され、地震で瓦礫の山になってしまったという。戦争は、今も無くならない。人間は本当に飽きもせず同じ過ちを繰り返しているのだ。
 今はもう廃墟と化した神殿群の数々。その周りを飾っているのは白や黄色や紫、そしてところどころにポピーの赤・・・本当に無数の色とりどりの花。風に揺らめくその花達を見ているとふーっと遙か昔に想いをはせてしまう。現在6万人が住むアグリジェントの町。古代は何と30万人が住んでいたという。昔は奴隷なんかもいただろうし、・・・奴隷はいやだな、貴族に生まれたい。でも女性だといやなことも多いかな・・・男色の方が高貴だったという話もあるし・・・。ああ、私今に生きていてなんだか幸せ。
 神殿は本当にたくさんあってガイドブック片手に回ってみるものの、すぐに名前なぞ忘れちゃう。「ギリシャ神話を読んだだろう?」「うん、でももう忘れた。」どれも神様の名前が付いていると言うけれど、日本のお寺の名前だって怪しい私。どっちみち覚えられない。
 しかし現在残されているギリシャ神殿は、本家本元のギリシャよりもシチリアの方が多いというのも変な感じ。私のギリシャ神殿のイメージはどうしてもあの白い大理石なのだが。

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最終更新日: 2010/08/29